Shout !!!
叫ぶ
姉2人の後に生まれた長男であり、又母が30才、父が37才の時の子供。
元来厳しかった父もずいぶん優しくなっていたようです。
そのような中で大切にそして甘やかされて育ちました。
そのために、私は依存心の強い性格になっていきました。
しかし高校生の頃になり、ちょっとした行き違いで友達に裏切られたと思う
ような事がたびたびあり、お決まりのように、人は頼りにならないものだと
思うようになっていきました。
そして、結局は自分しか頼りになるものはないのだから、自分に厳しくし、
立派になろうと思いました。
それ迄本嫌いだった私が、論語や小説などを頑張って読み始めたのも
丁度この頃でした。
しかし、そう簡単に性格が変わるはずがありません。
そのような中で私の不満をぶつけるものが音楽でした。
大きな音でレコードを聴いたり、
ギターを弾きながら何時間も叫んだりしていました。
又淋しさを紛らわそうとして近くの森に散歩に行って、
その淋しさを森の中に一人いることの不安で打ち消そうとしていました。
でもそれは一時しのぎでしかありませんでした。

そんな高校生時代を過ぎ、大学の入学式を控えたある日。
クリスチャンの作家である三浦綾子さんの本を読みました。
読み進んでいくうちに、以前読んだ時には何とも思わなかったその本が
ぐいぐいと心の中に迫って来ました。
その後、この人の考え方が自分を立派にするのに役立つと思い、
次々と三浦さんの本を読んで行きました。
だんだんとキリスト教の教えの素晴らしさに心を惹かれ
クリスチャンになりたいと思うようにもなっていきました。
しかし、「信じます」と一人でいる時に祈ってみても、
実際にはなかなか信じる事が出来ませんでした。
そして、私は結局は信じる事が出来ないのではないかと
思ったりしたこともありました。

このような時に、広島の友達の所に行き、友達の行っている教会へも
行きました。そしてそこに約3週間泊めてもらいました。
その間に、クリスチャン向けの集会があり、彼らが泣いて神様の前に
自己中心な姿を告白し祈っている姿を見て、
私はその中に自分にない真実さを感じました。
その集会が終ってから一人でポツンとしていると、
友達が来て一緒に祈ろうということになりました。
それ迄の私は人の前では祈った事がありませんでした。
友達が祈り終り私の祈る番になりました。
しかしなかなか祈る事が出来ませんでした。
しばらくの沈黙の後私はやっと
「神様、あなたを信じます」と祈る事が出来ました。
その時から、聖書に
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」
とある言葉のとうりに神様は私を救い、神様の子供として下さいました。

数日後横浜に帰って来てから、教会の牧師をとうして
自分が愛されていること、私の内にある自己中心の姿、
そんな私を造り変えて下さるイエス様の十字架、
更に信じるだけでその神の愛を受け取る事が出来るという事を
ハッキリと知りました。
そして人に依存するのでなく、自分を過信するのでもなく、
決して裏切ることのない神様に従って歩む人生へと
神様は導き入れて下さいました。
イエス様を信じる前に、父から「教会に行くなら家には入れない」
といわれていましたが、イエス様に信頼して祈り
教会に行っていることを電話で話すと父は何も言わずに、
黙認してくれました。
その後もいろいろな事がありましたが、そのような中でも
本当に信頼出来る方を知っている事の素晴らしさを
更に深く体験させ続けて頂いています。