キリストは、肉体的、霊的(精神的)両方において、大きな苦難を経験されたのです。キリストをむち打ったむちは、端から端まで鋭い羊の骨と、端の近くに鉛のボールが埋め込まれたもので、39片の皮からなったものが使用されたのです。むち打ちの刑罰の度に、イエス様は39回のむち打ちを受けられたのです。強く繰り返されるむち打ちの刑罰で、イエス様の皮膚と背中は裂けました。イエス様の背中は、骨がほとんど肉眼で見えるまでに、特にひどく打たれたのです。その卑劣なむちは、色が変色しました。それは、赤色に変色し、聖なる血を汚しました。
イエス様は、父なる神に、ご自分の苦難から解放してくださるように、御使いを遣わしてくださるようにお願いすることができましたし、天の父はそのことをなすことが可能でした。しかし、その日の午後、イエス様はご自分の贖いを必要としているこの世界のビジョンを見られたのです。イエス様は、また、ご自分の血潮を流すことだけでは十分であるとはお考えにならず、死ぬことのためには何もかも明け渡すことが必要であると認識されておられたのです。その日の午後、拷問を受けて後、イエス様は土牢に落とされました。暗くてむっとする場所に、イエス様はご自分をそこに置かれました、イエス様は裂かれた背中のゆえに、横になることができませんでした。イエス様はおそらく、冷たい壁が背中の傷の痛みを激しくするので、壁に向かって、もたれることもできなかったことでしょう。土牢の中には、以前入っていた囚人たちの大便の残りがあって悩まされたり、おそらく、ゴキブリやネズミの死骸もあって悩まされたことでしょう。イエス様は、私たちのために一晩中祈っておられたのです。
とても弱った状態での次の日の朝、イエス様は裁判にかけられるために、ピラトのもとに引き出されました。鋭く尖った先端の小指ほどの長さのとげで編んだ小さな王冠をイエス様の頭の上に載せました。瞬く間に、イエス様の顔は血を浴びました。イエス様のひげは凝固した血のゆえに固くなりました。イエス様の目は繰り返し打たれたことによって腫れ上がったため、顔の中に深く埋もれ込んでしまいました。
私たちは、どうしてイエス様がこれら全てに忍耐すべきであったか疑問を抱きますが、しかし、イエス様にとって神のご計画を最後に至るまで全うすることであったと、聖書では記されています。50キロの十字架の木を肩に載せた時、渇き始めようとした前夜の傷が再び元に戻りました。聖なる血は、すぐに粗削りの十字架の木にしたたり落ち、イエス様の皮膚は、再び剥がれました。ビアドロローサ(悲しみの道〉の狭い通りにおいて、数百人、いやおそらく、数干人もの人々がイエス様を嘲りました。少しの時間が経過して、イエス様は地面に倒れ、通りの石で膝が裂けました。イエス様の頭が、長時間地面に倒れたことで、イエス様の頬は地面にぶつけることで、ひびが入りました。イエス様の弟子たちは、何かをする勇気はありませんでした。イエス様は、全ての道中、蹴られ、打たれ、つばきをかけられました。イエス様の形相はすっかりくずされました。もし、これら全てのものが芝居の一部であったなら、イエス様はそれを完成する必要は全くなかったのです。
ゴルゴダにおいて、イエス様の手は十字架で釘付けにされました。両手に20CMの長さの釘が刺し通されて、両手から鮮血がほとばしり出ました。イエス様の全体重は、3本の釘によって支えられました。6時間の間、イエス様は、そこに吊るされ、全身の苦痛を受けました。イエス様の体のどの部分も、つらい苦痛を受けました。イエス様は息切れをされました。イエス様の肺は、血でいっぱいに満ちました。イエス様が呼吸をされる時はいっでも、体を伸ばしました。その間、イエス様の全体重が釘付けされた両手と両足にかかります。イエス様が呼吸をされる度毎に、ひどい痛みを受けなければなりませんでした。イエス様の頭から流れ落ちる血と混ざって、汗がしたたり落ち、イエス様の両目は、かすんできました。イエス様は、はっきりと見ることができませんでした。イエス様が苦痛の中にある時、父をごらんになって、"父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのかわからないでいるのです。"と、赦しを言い表していたのです。
イエス様の全身は、打たれて変形しました。誰一人として、イエス様を保護することなく、見捨てました。イエス様の皮膚と裂かれた肉の、どの切り傷も懲らしめを受けたもので、十字架の下より、この卑劣な地上に濃い赤色と変色する血が、おびただしくしたたり落ち、イエス様をへとへとに疲れ果てさせました。それは、この汚れた地上に、いまだかって一度も起こったことはありませんでした。この汚れた地上は、キリストの花嫁を求め続けていた神の御子の永遠の愛によって示された恵みを受けるのです。イエス様は、ご自分に属する者たちの贖いのために流された血潮の最後の一滴をも惜しもうとさえされませんでした。
普段、イエス様は、いつも天を見上げ、御父の御顔を慕い求めていました。そこで、イエス様は、休息をとられ、力を得ていたのです。御父はキリストの源であり、キリストのみわざの目的でした。キリストの午後の苦闘は、御父との親密な表現によって、しばしば表わされていました。しかしながら、その日の午後は違っていました。イエス様は、やっとのことで見上げ、両眼の側面から大空を見ることができました。しかし、御父は、そこにはいませんでした。空は暗くなり、太陽は濃い雲の背後に隠れてしまいました。人類の罪の厚さは、天の窓を閉ざさせました。御父は、キリストの御顔を背けました。それが、エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)と、イエス様が大声で叫んだちょうどその時のことでした。イエス様は、幼年時代の頃に使った言語で、大声で叫んだのです。イエス様は、ご自分の母国語か、ご自分の故郷の言語であるアラム語で大声で叫んだのです。専門家によれば、人が苦難の中にある時、その人の幼年時代に使ったくだけた方言である母国語で、精神錯乱状態で何かを言うとのことです。
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